拉致問題――解決への道

『別冊世界 北朝鮮核実験以後の東アジア』 (2007年4月発行)





 

 1 安倍内閣の取り組み

 安倍晋三氏は拉致問題という十字架を背負った政治家である。平壌首脳会談に同席して、拉致問題での謝罪がなければ、平壌宣言に署名すべきでないと主張した。その後は生存五人の帰国者を平壌には返さないという方針を決め、交渉の断絶を招いたが、終始一貫北朝鮮への「圧力」を主張して、国民の人気をかちえ、後任首相の座を獲得したと言っていい。

 昨年九月安倍内閣が成立すると、安倍首相は、拉致問題の解決を内閣の最重要課題として掲げた。拉致問題担当大臣を置いて、塩崎官房長官をこれにあてるとともに、中山恭子氏を拉致問題担当総理大臣補佐官に任命した。内閣発足の三日後には、首相を本部長、官房長官を副本部長とし、全閣僚を部員とする「拉致問題対策本部」が設置された。

 一〇月一六日に開かれた同本部の第一回会合で「拉致問題における今後の対応方針」が決定された。「拉致問題の解決なくして北朝鮮との国交正常化はあり得ないということ」を再確認し、「政府一体となって、すべての拉致被害者の生還を実現」することをめざすと宣言した。第一項は、北朝鮮側に、すべての被害者の「安全を確保し、ただちに帰国させるよう引き続き強く求めていく」となっている。第二項は、すでに実行した経済制裁措置に加えて、「今後の北朝鮮側の対応等を考慮しつつ、更なる対応措置について検討する」となっている。第三項は「現行法制度の下での厳格な法執行を引き続き実施していく」となっている。これは朝鮮総連に対する措置を継続するということである。第四項は、「情報の集約・分析」「問題解決に向けた措置の検討」、「国民世論の啓発を一層強化する」である。第五項は「特定失踪者」など、拉致と認定できていないケースをさらに捜査・調査し、認定されれば北朝鮮に対してとりあげるとしている。第六項は、国連等、国際的な協調を強化するとしている。まとめれば、被害者全員の生還実現、制裁の強化、北朝鮮非難の広報の強化・拡大である。この方針のどこにも国交正常化交渉のことはかけらもない。

 この方針の実現のために、一一月七日、関係省庁対策会議が開かれた。中山首相補佐官を事務局長として、宮内庁をのぞく一六の省庁の局長・審議官クラスが顔をそろえ、情報、法執行、広報の三分科会を設置した。「対応方針」の各項目別に各省庁が何をしているかを報告した結果の一覧表が作成されている。さらに一一月一四日には、自民党の政調会に拉致問題対策特命委員会が設置され、委員長には政調会長中川昭一氏、事務局長には近藤基彦氏が就任した。中川氏は「「拉致問題は何も解決していない。残り数十人、数百人の人を返して初めて(北朝鮮との)対話がある」と、超強硬の姿勢を強調した。内閣の姿勢に呼応する党の体制をつくったものである。

 ついで拉致問題対策本部は平成一八年度補正予算に二億二六〇〇万円を組み込むことを決め、あわせて平成一九年度予算案には四億八千万円を計上することを推進することにした。その内訳は、北朝鮮向け放送関連に一億三四〇〇万円、特定失踪者問題調査会の短波放送支援に一億一七〇〇万円、安否情報収集体制強化のために八一〇〇万円などである(朝日新聞、一二月九日)。北朝鮮向け放送は既存の放送を援助するのか、自前の放送を開設するのか、方針が定まっていないままの予算の計上だとされている。この予算の背景は、救う会全国協議会常任副会長で、安倍氏の元ブレーンの一人と噂される西岡力氏が「救う会参考情報」(二〇〇六年四月)に書いている文章「金正日を追いつめるときが来た」をみると、想像ができる。西岡氏は特定失踪者問題調査会の短波放送「しおかぜ」とともに、韓国にいる脱北者の短波放送「自由北朝鮮放送」の意義を強調している。後者では自分が毎週一〇分間番組をもっていることを紹介し、六月から中波放送になるこの放送を支援することが「来るべき大激動の中で、被害者の安全を保障するために」できる効果的な方法だと書いている。拉致問題対策本部の来年度予算は西岡氏のこの提案を受け入れたものなのであろうか。

 そして「北朝鮮人権侵害問題啓発週間」がきた。一二月一〇日より一五日までは、二〇〇六年六月一六日に制定された、いわゆる北朝鮮人権法によって、「北朝鮮人権侵害問題啓発週間」と定められていた。「国民の間に広く拉致問題その他北朝鮮当局による人権侵害問題についての関心と認識を深める」ことが目的であり、国および地方公共団体はこの週間にふさわしい事業が実施されるように努めることが義務づけられていたのである。一二月一〇日、キャンペーン週間開始の日、、全国紙六紙の半面に拉致問題対策本部長安倍総理の大きな顔写真とともに、「拉致問題。すべての被害者の帰国を目指して真剣に取り組んでいます」という政府広報広告が掲載された。そこには「拉致被害者のうち帰国できたのはわずか5名。我が国は、・・・すべての拉致被害者が生きているとの前提に立ち、被害者全員の奪還に総力をあげて取り組んでいます。」とあった。これは北朝鮮が8人は死んでいるというのはうそだときめつける言い方である。「被害者全員の奪還」とは政治的な運動団体の用語である。さらに「拉致問題は我が国の最重要課題です。」と宣言されていた。拉致問題が重要課題だということはいまや皆が認めている。しかし、それが日本の現在の「最重要課題」だと言われたら、首をかしげない人はいないだろう。子供が自殺し、校長が自殺している教育の現場の問題をはじめとして、国民が「最重要課題」だと感じている問題はほかにある。北朝鮮との関係だけをとっても、核問題が極度に重要だから、あれだけ制裁措置もとったはずではないのか。

 その広告で宣伝された一二月一四日の政府主催の「拉致問題を考える国民の集い」は日比谷公会堂で開かれた。八五〇が出席した(毎日新聞、一二月一五日)。安倍首相、中山首相補佐官と横田夫妻が発言した。安倍首相は、自分が首相である限りは、拉致問題の解決なくして日朝国交正常化はおこなわないことを約束すると力説した。霞ヶ関の官庁から割り当て動員で官僚たちが出席者のかなりの部分を占めたという。

 6者協議が再開され、米朝二国間の協議も行われるという気流の変化の中で、安倍内閣のこの方針、このパフォーマンスが拉致問題の解決を導けるものなのか、識者はひとしく憂慮せざるをえなかった。

 

 2 「すべての被害者は生きている」という前提について

 まず「すべての拉致被害者は生きている」との前提に立つという安倍内閣の方針は妥当な方針であろうか。

 このような考えは日朝交渉の最初には見られなかった。二〇〇二年九月一七日の日朝会談で、北朝鮮側が拉致を認めて、謝罪をし、生存者は五人、死亡者が八人だと伝えたのち、日本側は五人とその家族の帰国、八人の安否消息の確認のための調査を求めて交渉した。二〇〇四年五月二二日の小泉首相の再訪朝によって五人の家族の帰国、来日問題が解決したあとは、八人の安否確認のための再調査を北朝鮮側に求めた。この結果が同年一一月の局長級会談において報告され、八人の死亡が再確認されたということが伝えられた。藪中アジア局長は横田めぐみさんの遺骨なるものをうけとって帰り、DNA鑑定をおこなった。一二月八日と二四日、日本政府は遺骨と再調査結果についての判断を示す文書を発表した。それによると、遺骨は横田めぐみさんのものではなく、渡された情報及び物証には、八人死亡、二名入境せずという「北朝鮮側説明を裏付けるものは皆無である」とされた。その判断にたって、当時の細田官房長官は、「基本的な考え方」なる文書を同時に発表し、真相究明を一刻も早く行えと要求するとともに、生存者をただちに帰国させよ、対応がなければ厳しい措置をとると主張したのである。さらに細田長官は口頭の説明では、生存している可能性が高い行方不明者、安否不明者については、生存しているという前提で帰国を要求するとつけくわえた。明らかに正式に政府として用意された文書に、政治的な判断による文書がつけくわえられ、口頭で重大な意見がつけくわえられたのである。「すべての被害者は生きている」という前提はこのときはじめて出現した。

 北朝鮮が死亡したと伝えた人物について、かりに出された資料には死亡を裏付ける資料が皆無であるとして、だからその人々は生存している可能性がある、その人々を帰国させよと主張することは、論理が飛躍し、8人が死亡しているという北朝鮮側の主張はすべて虚偽だと決めつけることに他ならず、そもそも外交交渉の態度ではない。こうなれば交渉はもはや断絶で、最後通牒をつきつけて、力を背景に当方の要求に屈服させようとするのに近い。

 事実、二〇〇四年一二月以来、交渉は基本的に決裂状態のままになった。わずかに二〇〇六年二月に北京で日朝包括並行協議がおこなわれた。この席で日本側はすべての生存者の帰国、真相の解明、犯人のひき渡しの三点をこの順序で要求したと報じられた。

 生存している人がいれば、帰国させよと主張することは当然のことである。しかし、死んだと言われた者は生きているはずだから、帰せと主張するかぎり、交渉は不可能である。

 

 3 この前提は救う会の立場を政府が採用したものである

 このような変化は日本政府が北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会の主張をうけいれたということであるように見える。二〇〇二年九月一七日、小泉首相は五人生存、八人死亡という通告をうけ、大いに悲しみながら、金正日委員長の拉致と工作船派遣に対する謝罪をうけいれて、平壌宣言に署名して帰国した。被害者の家族も大きな衝撃を受け、信じたくないという気持ちに駆られながらも、その通告をひとまず受け入れる方向に向かった。国民世論も大きな驚きをもってこの事実をうけとめたが、小泉首相の訪朝を支持し、評価するという態度をみせた。

 このとき、家族会をたすけて運動してきた救う会全国協議会も九月一七日に家族会とともに、横田滋、佐藤勝巳の名で、声明を発表し、生存者の原状回復、死亡とされた六人については、それが事実ならば、死亡の状況を明らかにすること、北朝鮮の謝罪と補償を要求するとして、拉致が明記されない平壌宣言に署名した首相の責任を追及し、方針の撤回を求めた。救う会の資料には「正直のところ『万事休す』かと思った」と書かれている。

 しかし、救う会の幹部たち、佐藤勝巳、西岡力、荒木和博氏らは、事態を逆転させる論理を編み出した。九月一九日救う会全国協議会は単独で以下のような緊急声明を出した。

 「北朝鮮が小泉訪朝団に提出した拉致家族の『安否情報』はまったく根拠のないものだ。日本政府はいま現在までその情報が事実かどうか確認していない。つまり、死亡とされた8人は現在も生きている可能性が高い。それなのに、17日、日本政府が家族に『死亡しています』と伝えたことにより、現在も生きている被害者が殺されてしまう危険が高まっている。」

 この文章の論理は支離滅裂である。つづく部分では、横田めぐみさんの娘と称する女性が本物だという確認がとれていない、生存者とされた四人についても本人だという確認をしていない、「客観的な証拠はまったく確保されていない」と言った上で、「救う会」が確保している二つの情報は「めぐみさんがつい最近まで生きていたことを伝えている」と言い切っている。その二つの情報は当然ながら確認がとれるものではない。この声明は「以上から『救う会』は死亡とされた八人の多くは生きている可能性が高いと考えている」と結論している。

 客観的な証拠を日本政府が確保していないというのはたしかであった。しかし、すぐに分かったことは、めぐみさんの娘も生存者もみな本人であった。死亡の確認がとれていない以上、死亡とされた八人は生きている可能性が高いというのは、論理が飛躍した主張だが、被害者の家族には救いの声であった。死亡は確認されていない。資料の裏付けがなければ死亡は信じる必要がない。裏付けをとれ、という主張が一般にうけいれられていった。田中均氏ら外務省の問題の取り扱い方におけるミスも非難に利用された。

 だが、死亡が確認されなければ、八人は「現在も生きている可能性が高い」という主張はさすがに当初は広くは受け入れられなかった。それが二〇〇四年一二月にいたり、にせ遺骨は不当だという印象のもとに、ついに政府によって受け入れられるいたったというわけである。

 一般にめぐみさんたちが生きているという各種の情報はほとんど確認されるものではない。「めぐみさんたちは生きている――経済制裁発動で拉致被害者救出を」というのが救う会全国協議会のメイン・スローガンだが、この団体が現在最大の情報として使っているのが、韓国にのがれた北朝鮮の工作員安明進氏の情報である。アメリカ人監督のドキュメンタリー映画「めぐみ――引き裂かれた家族の30年」は現在は日本の在外公館でも映写会を広く行っているものだが、この映画にも安明進氏が登場して、めぐみさんは九五年頃に金正日の息子の日本語の家庭教師になって生きていると語っている。救う会全国協議会の西岡氏は映画のパンフレットで、安氏のこの話を「有力な情報」だと言っている。

 一般に死亡といわれた八人を含めてすべての被害者は生きていると主張することは政治闘争の立場である。北朝鮮との交渉を断絶して、北朝鮮の体制転換を通じて問題の解決を求める主張である。

 救う会全国協議会は会長が佐藤勝巳、常任副会長が西岡力という顔ぶれである。この人々の考えはきわめて明確である。佐藤勝巳氏は「金正日政権が存在するかぎり拉致の解決は困難であり、金正日政権の崩壊が絶対必要条件である」(『拉致家族「金正日との戦い」全軌跡』 小学館文庫、二〇〇二年一一月)と述べたことがある。氏は国会の委員会でも「現在の金正日政権を個人独裁ファッショ政権というふうに理解」している、「この政権は、話し合いの対象ではなく、あらゆる方法で早く倒さなければならない政権だと考えております。」とも述べた(衆議院安全保障委員会で参考人陳述、二〇〇二年一二月一〇日)。

 これらの発言はすべて五年前のもので、現在では佐藤氏は口をつぐんでいるが、つねに発言を続けている西岡力氏は昨年一二月に『北朝鮮の「核」「拉致」は解決できる』(PHP研究所)という本を出した。その序文で次のように述べている。「安倍政権が価値観外交を高々と掲げ、米国との同盟を強化しつつ、金正日政権への圧迫を強めていくなら、北朝鮮の内部矛盾が限界点を超え、金正日政権が倒され、核、拉致問題がダイナミックに解決される展開は十分あり得る。」まさに金正日政権の打倒こそ問題解決の道だとますます考えているのである。

 安倍内閣の拉致問題の取り組みは救う会全国協議会幹部のこのような北朝鮮レジームチェンジ論にかぎりなく接近しているように見える。

 

 4 「めぐみさんたちは生きている」は正しいか

 横田めぐみさんの安否の問題は拉致問題の焦点である。私はかって二〇〇一年はじめに横田めぐみさんの拉致について確認するだけの情報がない、安明進氏の情報も含め、存在する情報では「拉致されたかも知れないという疑惑が生じうる」としか言えないと述べ、横田滋、佐藤勝巳氏らの連名の抗議文をもらった者である。横田めぐみさんの拉致は北朝鮮側の確認謝罪により、事実であることが判明した。したがって、横田ご夫妻には私の分析には反撥が強いかもしれないが、きわめて重要な問題であるので、あえて検討を試みることにする。

 横田めぐみさんは一九六四年生まれで、七七年一一月、中学二年生、一三歳の時に拉致された。最初に彼女のことが伝えられたのは石高健次氏の九六年の文章で、氏は九五年に韓国の情報機関の幹部から聞いた話を書いていた。その話は、一九七六年ごろ、一三歳の女子中学生が学校でバドミントンを練習して帰宅する途中拉致された、その子は朝鮮語を学べば、日本に帰してやると言われ、一生懸命勉強したが、その言葉がうそとわかり、一八歳、一九八二年のころ精神に異常をきたし、入院したという内容だった。

 その文章を読んだ佐藤勝巳氏がこれは新潟で失踪した中学生のことではないかと言いだし、そのことが日本で話題になりはじめた九七年二月、韓国に亡命しいた安明進氏が、八八年から九〇年にかけて金正日政治軍事大学で日本語の教師をしている横田めぐみさんを数回みた、また自分の教官が彼女を拉致してきた、彼女は元気であったと証言したのである。この証言が横田めぐみさんは拉致被害者だという主張の確立に決定的な役割を演じた。

 拉致を認めた北朝鮮は、二〇〇二年に次のように説明した。横田めぐみさんは七七年一一月から八六年七月まで招待所でくらしたが、入国当初、曽我ひとみさんと一緒にくらしたことがある。八六年八月に結婚し、八七年九月に娘を出産した。そのあとから精神病となり、平壌四九号予防院に入院したが、散歩中に自殺した。死亡日時は当初一九九三年四月一三日と伝えたが、のちに九四年四月一三日と修正した。

 二〇〇六年にいたり、めぐみさんが結婚した夫、韓国からの被拉致者金英男氏が六月二九日と七月六日の二度にわたって記者会見をして、次のように説明した。八六年初めに横田めぐみさんと会って、日本語を教えてもらうようになり、結婚することになった。娘が生まれ、三年間はしあわせに暮らした。めぐみさんには徐々に病的な症状があらわれた。子供が産まれたあと、病状が悪化して、鬱病を伴って、精神異常の症状まで現れた。妻として母として家庭生活を送ることができない状態になって、専門的に治療する病院に行かせたが、治療はうまくいかなかった。自殺を企てる試みが何回かあった。結局病院で自殺した。死亡したのは九四年四月一三日である。その後本人は再婚して、新しい妻との間に子供もある(韓国統一ニュース、朝日新聞、七月七日)。

 ところで、帰国した五人の人々の話として、もれてきたところから、横田めぐみさんは北朝鮮では、まず曽我ひとみさん、田口八重子さんと同居していたし、蓮池薫さん夫婦、地村保志さん夫婦と同じ区域内の招待所に長い間暮らしていたということが明らかになった。蓮池薫さんたちは帰国後、横田めぐみさんにかんする情報を中山参与の対策室に詳細に報告し、さらに警察庁の事情聴取にも応じて、詳細に陳述し、最後に横田夫妻に対しても詳細に話したと考えられる。しかし、この情報はほとんど完全に隠されており、ながく国民には何も知らされなかった。

 ところが、安倍内閣の出帆の直後の昨年一〇月三日午後九時から日本テレビは報道特別ドラマ・スペシャル「再会――横田めぐみさんの願い」を一時間五〇分にわたって放映した。これは蓮池さん夫妻が二〇〇四年六月横田夫妻、息子さんたちと会って、自分たちの知っているめぐみさんの生活のすべてを語るという形のドラマである。それによると、横田めぐみさんは拉致されてから一〇ヶ月後の七八年八月、拉致されたばかりの曽我ひとみさんと一緒にくらすようになった。めぐみさんは朝鮮語をしっかり勉強したら、日本に帰してやるといわれて、勉強に打ち込んでいた。七九年春辛光洙が教師として来て、二人に教えている。この共同生活が一年間で終わる。その後、めぐみさんは五年間孤立して暮らしていた。八四年九月からは忠龍里招待所三号舎で田口八重子さんと同居した。そのとき、一号舎には蓮池夫妻、七号舎には地村夫妻がいた。めぐみさんはすでに帰国させてほしいと指導員に要求してやめないので、田口さんがめぐみさんの気持ちをなだめるために一緒に住むようになったとの説明があった。それでも蓮池夫妻がみるところ、めぐみさんは元気に見えたが、そのうち「約束したではないか、帰国させて」と毎日のように指導員に迫るところが目撃されている。八六年、田口八重子さんが腰痛で入院し、蓮池、地村夫妻も引っ越し、めぐみさんは一人でのこることになった。「日本に帰して」と指導員に泣いて迫まり、指導員が、結婚すれば落ち着くだろうと言う場面が。そこに金英男氏が登場し、八六年八月結婚して、二人は太陽里に移る。そこで蓮池、地村夫妻とふたたび一緒になる。八七年、娘ウンギョンが誕生する。その後めぐみさんの体調が悪化し、九〇年ころには血圧が低く、昼頃まで起きられないという状態になる。彼女は「日本に帰るんだ」とくりかえし訴え、徘徊し、服を焼く、髪を切るなどの行為をおこなう。ナイフをベッドのよこにおいている。夫はこれが3回目だと語っている。この人は自分は組織にだまされたと不満を述べるところもある。めぐみさんの精神の変調があきらかである。ついに近くの順安空港へ行き日本へ帰ると閉鎖区域を脱出し、連れもどされる。このころは入退院をくりかえし、入院中は子供は蓮池夫妻が預かっている。九四年二月、めぐみさんは万景峯号で日本へ帰るとして、ふたたび閉鎖区域を脱出して、連れもどされる。そのあと、94年3月、めぐみさんは中国国境にある隔離病棟におくられる。これは日本政府の発表にある義州四九号予防院のことである。それ以来めぐみさんに会っていないと蓮池氏は語っている。

 この4チャンネルのドキュメンタリー・ドラマは蓮池さんたちからの取材にもとづいて構成されているものと考えられる。ここで明らかになるのは、13歳で拉致されてきた少女は自らの過酷な運命に適応して生きることができず、精神の不安定な状態から、自傷行為や出奔をくりかえすなど、精神の正常さを失った状態になったことである。描かれた状況は金英男氏が述べた彼女の病状と合致している。石高氏が伝えたもっとも早い95年の韓国情報部の話とも合致している。そして、金正日の息子の家庭教師をしているという安明進氏の話とは決定的に食い違っている。

 横田めぐみさんの病状がこのようなものであったとすると、そのような患者が国境地帯の遠い病院の隔離病棟に入れられるということは何を意味するのだろうか。精神の異常をきたし、生きる気力を失っためぐみさんは生きつづけられたのか。蓮池さんたちは帰国までの八年間いかなる消息も聞いていない。そして金英男氏は再婚している。テレビでみた彼の息子は一〇歳程度と見えた。九五,九六年ごろに再婚したと考えられる。もちろん理論的な可能性としては、隔離病棟の中でも一〇年間生き続けているということもありえないないわけではない。しかし、夫が再婚し、娘が母を失った状態であるということは重大な事態を示しているといわざるをえない。

 事柄の本質は中学生を拉致するという犯罪行為が過酷な状況に対応して生きる力をまだもっていなかった彼女の精神を危機に陥れたということである。この全責任は北朝鮮政府にある。だが、だからと言って、横田めぐみさんが今日なお元気で解放を待っていると想定することには無理があると言わざるを得ない。

 日本政府が蓮池さんたちの話をくわしく聞きながら、その内容は国民に知らせずに、めぐみさんは生きているとして奪還を叫ぶというのであれば、国民を欺く態度と言わざるをえないだろう。

 久しいあいだ、横田滋さんは家族会代表として、救う会全国協議会会長佐藤勝巳氏との連名で声明を出すことをさせられてきた。北朝鮮ミサイル発射のあとの七月五日には、「金正日テロ政権は、追い込まれつつある。国際社会が団結して強力な圧力をかけるならば、彼らから核とミサイルを取り上げ、すべての拉致被害者を取り戻し、北朝鮮人民を人権抑圧から解放することができる」という声明に署名している。北朝鮮の核実験のあとの一〇月九日には、「金正日政権は、他国に工作員を送り、一三歳の少女らを拉致していった犯罪政権である。その金正日政権が核武装をすることは、世界平和と人類文明に対する挑戦であり、断じて許すことができない」という声明に署名している。一〇月一五日には、国連安保理の制裁決議を歓迎する声明の中で、「核実験と制裁発動によって北朝鮮情勢は予断を許さない緊張が続いている。そのような中で緊急に取り組むべき課題が拉致被害者の安全確保である。」として、菅総務大臣のNHK短波放送への命令を支持する声明に署名している。

 娘を拉致した北朝鮮政府が憎いと思う感情は自然である。しかし、こうした政治的声明に名を連ねることによって、横田滋さんは北朝鮮と政治的な対立関係に立たせられてしまう。北朝鮮を訪問し、孫のキム・ウンギョンさんに会うことはますます遠くなっているのである。肉親の情からすれば、めぐみさんの忘れ形見の実の孫娘の存在から出発して、その子を抱きしめるところから、めぐみさんの安否の真実を肉親の熱意で明らかにする方向に進むのが自然ではないか。そうするのではなく、横田夫妻は北朝鮮に対する経済制裁を主張する運動の先頭に立たされてきた。横田夫妻をそのように利用しているのは、救う会全国協議会と日本政府である。

 

 5 拉致問題解決の道

 経済制裁は「打ち出の小槌」のように、万能のエース・カードであるかのように、救う会は主張してきた。家族会もそれに同調した。食糧援助をやめろ、経済制裁をくわえよというのが、定番の主張だった。それは二〇〇〇年日朝交渉が八年ぶりに再開されたときにはじまった。二〇〇二年三月、八尾恵証言が出て、拉致問題への関心がたかまったとき、両団体は「断固たる制裁」をもとめた。日朝首脳会談のあと、一〇月二九日に開かれた日朝国交交渉が物別れに終わると、早速両団体は経済制裁を要求した。制裁の中心は万景峰号の入港さしとめだった。佐藤勝巳氏はその年一二月二〇日、衆議院安保委員会での参考人陳述の中で、万景峰号の「入港規制をされますと、・・・北朝鮮政権は三ヶ月ともたないだろう」と語ったのであった。

 いまでは万景峰号の入港禁止から全北朝鮮船舶の入港禁止にすすみ、北朝鮮からの輸入が完全に禁止されている。万景峰号の入港はとまって、すでに七ヶ月がすぎたが、北朝鮮政府が崩壊するきざしはない。長い間待たれた経済制裁だが、日朝間の経済関係がすっかり縮小してしまっているので、輸入を禁止したところで拉致問題に影響を与えるような効果がない。しかも、年が明けてから、米朝のベルリン秘密交渉もあり、六者協議では、寧辺の核施設の停止ないし凍結の見返りにエネルギー支援が交渉される事態に進んでしまった。現在の制裁はミサイル発射、核実験にたいする制裁であるから、六者協議の成り行きによっては、制裁を緩和するように求められ、エネルギー支援を米韓中がやるのなら、日本も加わるようにという圧力が高まることになる。安倍総理は、「拉致問題の進展なくしては、支援に応じられないとの基本線は変わらない」と防戦一方である。北朝鮮の核問題は日韓両国にとって見過ごすことのできない国家的な重大事であり、両国民全体の運命に関わるはずのことである。日本だけが北朝鮮に核開発をやめさせる努力に加わらないではおれないだろう。

 いずれにしても、国際協力を拒んで孤立し、外交力をうしなうことになったとしても、北朝鮮に対する制裁を現在以上に強める可能性はないのである。とすれば、経済制裁では拉致問題を解決できないことが明らかである。

 たしかに拉致問題の真相の最終的解明は、北朝鮮の現政権が変わらないと不可能である。ソ連では、一九三七−三八年に、一五四万八三六六人が逮捕され、六八万一六九二人が「人民の敵」として処刑された。この事実は一九五六年二月九日にソ連共産党中央委員会幹部会に特別調査委員会より報告された。そのあまりにショッキングな事実は、二〇回党大会のフルシチョフ秘密報告にも含められなかった。この数字が公開されたのは、それから三五年後の一九九一年、社会主義ソ連が解体したあとのことであった。

 しかし、外からおこなうレジームチェンジは危険である。イラクのレジームチェンジをアメリカがやって、どのような地獄的状況にイラク国民をつきおとし、多くのアメリカ人をも殺す結果になったか、すでに周知のことである。北朝鮮のレジームチェンジを企てることも同じように危険である。日本人は自分たちの経験を考えるべきだ。

 戦前の日本は、現人神であって、陸海軍の最高統帥者、大元帥である天皇を中心として結束した軍人重視の体制であった。アメリカが経済制裁を加えると、日本は米英に宣戦を布告し、以後三年八ヶ月戦いつづけ、国土は焦土と化しても、国民は一億玉砕の覚悟で、特攻隊を送り出した。ようやく原爆の投下とソ連軍の参戦のあとで、日本は降伏し、レジームチェンジがなされたが、天皇はそのままのこったのである。その間のアジアとアメリカと日本の犠牲は莫大だった。そのようなことをくりかえすことは許されないし、可能でもない。

 拉致問題の解決には別の方法、別の考え方をとらねばならない。しかも急がなければならない。安倍内閣が拉致問題の解決を内閣と国家の「最重要課題」だと言う以上は、なんとしても内閣のあるうちに、拉致問題そのものの解決を進展させねばならないはずである。内閣の最重要課題でいささかの進展もかちとれない内閣は公約不履行の故に、去らねばならない。とすれば、安倍内閣は、拉致問題の解決のためには、なんとしても北朝鮮と交渉しなければならない。拉致問題担当首相補佐官の中山恭子氏は、さきごろ読売新聞とのインタヴューで、そのことをはっきりと述べている。「拉致問題を解決するには、拉致という犯罪を犯した金日成政権を継いだ金正日政権を相手に交渉する以外にない。」(読売新聞、一月二七日)

 だが、交渉をするには、交渉のために条件をととのえなければならない。レジームチェンジの考えをもっていないことを知らせなければならない。そのためには制裁をすくなくとも部分的に解除する必要があろう。まず「法の厳格適用」というな主張のもとに在日朝鮮人、在日朝鮮人団体に対する陰湿なる抑圧、しめつけ、しめあげをするのをやめることにして、シグナルを送るのがよいのではないか。そもそも日本の社会の一員である在日朝鮮人をしめあげることは、日本の内部に緊張をつくりだし、平和と安定を乱す愚かな行為である。在日朝鮮人のこころをつかみ、北朝鮮を説得するのに役立ってもらうことこそ、問題解決のために必要なことである。

 さらに交渉をするなら、国交交渉を再開し、その中の一つのテーブルで拉致問題について交渉するというふうにしなければならない。つまり日朝平壌宣言の道にもどることを明らかにすべきである。拉致問題の解決なくして国交正常化なしという前提を転換して、国交正常化交渉をすすめる中で拉致問題の解決をはかるという態度にもどる必要があるのである。

 拉致問題を交渉するには、「すべての被害者は生きている」ということを前提にして、一人か二人被害者を返させることを目標にするのをやめなければならない。そこから入れば、交渉は進まない。やはり一二人の安否不明者について、さらなる調査、真相の解明を求めるというところで交渉を再開しなければならない。もとよりその他の行方不明者、失踪者の調査をもとめることも必要であり、生存者はただちに帰国させよと要求することは当然である。

 安否不明者の調査の核心はひきつづき横田めぐみさんの問題である。政府はもっている情報、えている資料をみな国民に提示して、冷静に交渉しなければならない。北朝鮮が返還を求めている遺骨については、のこっている部分があるなら、返すべきである。資料を全部使ってしまって、返せないのなら、遺骨のDNA鑑定問題は痛み分けにせざるをえない。「再鑑定を可能にするように検査資料の保管をしてないような事例では、そのDNA鑑定結果を排除するくらいの厳しさが必要である」と言われるからである(石山c夫・吉井富夫『DNA鑑定入門』南山堂、一七五頁)。安否の究明は義州の隔離病棟に向かわざるを得ない。北朝鮮側の二回の調査では、新しいことが出なかったのだから、三回目の調査のためには、横田夫妻の訪朝、直接調査ということを求めざるをえない。北朝鮮の秘密機関の壁を破るのは肉親の力以外にないだろう。政府関係者が同行して、サポートすれば、問題はない。この点で横田早紀江さんがめぐみさんの問題が明らかになって一〇年ということで、毎日新聞のインタヴューに答えた言葉が注目される。「北朝鮮に乗り込んで、向こうの政府にすぐに返しなさいと直談判したい。めぐみがどこにいるか分からないが、はっきりすれば政府の人と行きたい思いはある。」(毎日新聞、二月三日)これは希望を抱かせる表明である。

 辛光洙ら犯人の処罰、拉致被害者への補償なども議論されるべきである。そこまでくれば、日本の植民地支配の犠牲者であって、フィリピン、韓国、台湾、オランダの同じ被害者には日本が個別的な謝罪と償いを実施した慰安婦犠牲者への償いも前倒しで実施することを考えるべきである。また被爆者援護法を北朝鮮にいる被爆者にも及ぼすことも検討されるべきである。強制労働者の遺骨の返還は当然のことである。

 重要なことは、国民が冷静な態度を堅持して、交渉の前進は前進として、評価歓迎するようにすることである。日朝交渉は前進が後退の契機になり、国民世論が交渉の過程でますます感情的になるという傾向をあらわしてきた。それでは政府が賢明な外交を進めることはできない。安倍内閣が拉致問題の解決のための交渉をはじめるなら、国民はそれを支持し、冷静に見守る用意はあると思う。

 

 (2006年12月15日、日朝国交促進国民協会主催講演会「核と拉致――いまこそ日朝間の交渉を」で行った講演に加筆した)




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