重村智計著『最新北朝鮮データブック』の記述に抗議する





 重村智計 殿
 上田哲之 講談社現代新書出版部長殿
 岡本浩睦 殿
 野間佐和子講談社社長殿

 本年2003年1月6日、私は、重村智計著『最新北朝鮮データブック』講談社現代新書(2002年11月20日発行)は、私、和田春樹に関して、事実無根、虚偽の記述を含んでおり、私の名誉を著しく毀損するものだとして、抗議の書簡をお送りしました。これに対して、上田哲之部長は担当の岡本浩睦氏とともに、1月15日に回答を出されました。それを拝見して、私は、そのあまりの没論理性に議論をつづける意欲をなくしました。 その後3月には、雑誌『世界』編集長岡本厚氏が本書について質問状を送り、それに対して上田部長、岡本氏は3月17日に回答を出されました。もとよりこの回答が岡本氏を満足させるものであるはずはありません。岡本氏からその旨重ねて表明があったと思います。
 最近、ある人から、回答を受け取って何も反応しないということは、その回答に承服しているとみなされるという注意をうけました。そこで、私も、遅ればせながら、2003年1月15日の上田部長、岡本氏の回答について私の意見を表明することにしたいと思います。この度は事柄の重要性に鑑み、野間佐和子社長も名宛人とさせていただきます。

 まず、基本的なことですが、私の手紙は、著者である重村智計氏と出版社代表の上田氏にあてられたものであるのに、どうして重村氏は責任をとって、回答の署名者にならず、出版社側に任せているのか、理解に苦しみます。本は一義的に著者のものであるはずです。和田を批判しているのも、重村氏であるのに、批判されたら、講談社の蔭に隠れるというのは、無責任だと思います。しかし、「著者の重村智計氏と編集部で検討いたしました」「結果」を述べているというのですから、署名のあるなしにかかわらず、回答は重村氏と講談社の共同の回答だとうけとって、対応させていただきます。

 私の1月6日書簡は、重村氏の著書の三つの記述(19,20,26ページ)をとりあげ、そこに、@和田春樹は「北朝鮮を擁護する」、「評価し喧伝する」論文を書いた、「北朝鮮の主張を支持した」、A和田春樹は「拉致はない」と主張した、B和田春樹は「朝鮮戦争は韓国が始めた」と主張した、C和田春樹は「北朝鮮には自由はないが食べるものは十分にある」と主張したとの4つのテーゼが含まれていることを指摘し、これはすべて事実に反し、私の名誉を毀損する誹謗だと主張しています。
 これに対して、上田部長、岡本氏の1月15日回答は、和田の整理に同意しないとして、重村氏の三つの記述について論じ、問題はないと反論しておられます。私の整理が受け入れられないというのは、問題を曖昧にして、私の批判をかわす意図があるのではないかと考えますが、ひとまず、回答の論理に従って、三つの記述について論じてみましょう。

 記述の1(19ページ)
「日本では、北朝鮮を擁護する論者やメディアが『拉致はない』との論陣を張っていた。その代表的な論者は和田春樹東京大学名誉教授であり、岩波書店の雑誌『世界』がこうした主張を後押しした。『世界』は平成13年2月号で、和田名誉教授の『拉致はない』とする論文を掲載した。(和田の論文から横田めぐみさんの件についての引用がつづく)」  私はこれに対して、「横田めぐみさんの件については、最大の証言者とされた安明進の証言は信頼度が低いと判断されたので、引用の通り、『拉致されたかもしれないという疑惑が生じうる』というものであるとの結論を出しました。『拉致はない』とは言っておらず、拉致疑惑は認めうるとしているのですが、確証がないので、行方不明者として交渉するほかないと言っているのです」と反論しました。さらに、「原敕晁さんを拉致したという辛光洙の事件は『直接的な根拠、当事者の供述、証拠品からして』『拉致事件として問題にしうる』と述べています。はっきり『拉致である』としているのです」と述べました。久米裕さんのケースは「海岸まで久米さんを連れて行った在日朝鮮人の供述があり」、拉致の「疑惑は濃厚だが」、警察が立件しなかったので、「行方不明者として交渉するほかないだろう」としていると、指摘しています。「いずれのケースでも『拉致はない』と積極的に主張してはいないことは明らかです」ーーこれが私の反論の結論でした。
 この私の反論に対して、和田は「拉致はない」とする論文を書いたという主張を守るためには、もう一度私の2001年論文を読み直して、「拉致はない」と書いている部分を発見してくるか、私のさまざまな主張を総合すれば、「拉致はない」と言っているにひとしいと逃げるかのいずれかでしょう。
 ところが、1月15日の講談社回答は、@和田論文は「拉致としてではなく『行方不明者として交渉するほかない』と結論づけて」いる、A論文には「多くの事実誤認が含まれている」、「事実誤認を基に『行方不明者として交渉するほかない』と結論づけられても、いささかの説得力を持ち得ません」、B北朝鮮がテロ、大韓航空機爆破事件、拉致などの工作活動をくりかえしていた事実を直視せず、『行方不明者として交渉するほかない』と主張するのは、北朝鮮の外交姿勢を擁護する行為であることは明白です」、C和田は『世界』1999年4月号掲載の論文で、「拉致事件も一般的には北朝鮮が公式に認めるはずもないことである」と書いており、「北朝鮮の外交手法を擁護していることは、明らかです」と主張しています。
 この回答のどこにも、和田は「拉致はない」とする論文を書いたということを主張する証拠は示されていません。それどころか、和田は「拉致としてではなく『行方不明者として交渉するほかない』と結論づけて」いるという主張があらたに持ち出されて、それをもっぱら槍玉にあげて議論を展開していますが、これははっきりとすりかえです。「拉致はない」ということと、「行方不明者として交渉するほかない」ということとは、まったく違う主張です。これは小学校程度とは申しませんが、中学校程度の国語の問題でしょう。率直に申して、他人から批判されて、こんなに厚顔な弁明をするとはあきれたものです。和田が「行方不明者として交渉するほかない」と主張しているということは、『北朝鮮データブック』のどこにも書いてないのです。1月15日の回答ではじめて出してきた批判です。
 また「事実誤認」があるから説得力がないと言っていますが、そんなことは大きなお世話で、本筋とは関係がありません。かりに事実誤認があろうと、説得力がなかろうと、「拉致がない」と言っていなければ、それまでです。
 それから、BとCは、私が「北朝鮮の外交手法を擁護している」との非難ですが、これも私が「拉致はない」とする論文を書いたということと同義ではありません。「拉致はない」とする論文を書くということが「北朝鮮の外交手法を擁護している」ということになるというなら、理解できます。しかし、逆はなりたちません。「北朝鮮の外交手法を擁護している」人はみな「拉致はない」とする論文を書くということにはなりません。BとCは論理的にこの部分に入れるのはおかしい主張です。
 結論的に、重村氏は、講談社新書で、和田は「拉致はない」とする論文を書いたと書きましたが、そんな事実はないと和田に反論され、まともな弁明ができなかったということです。和田は「拉致はない」とする論文を書いたということが間違っていたことを認めるべきです。

記述 2(20ページ)
「雑誌『世界』と和田名誉教授は、北朝鮮が膨大な工作機関を有する『工作国家』であった真実と拉致の事実に、目をつぶってきたのである。その一方で、北朝鮮を評価し喧伝する記事や論文を常に掲載しつづけた。」
 この主張に対して、私は、「私が北朝鮮政府の行為、その独自の主張を支持している証拠を示さねばなりません。だが私はそのようなことをしたことはありません」として、私の83年以来の『世界』への寄稿、私の著書を列挙して、反論しましたが、講談社回答は、「掲載しつづけた」の主語は、雑誌『世界』であり、和田ではない、和田の2001年世界論文は「北朝鮮が工作国家であるという認識がないままに書かれたことは明白です」というものでした。前者の主張にも釈然としないものがありますが、とりあえず後者の主張をみましょう。私が、北朝鮮が工作国家、つまりテロや拉致などをする国家だという認識がないままに2001年論文を書いたというのは、論証を伴っていない主張です。私が列挙した私の著作から、包括的な著書『北朝鮮ーー遊撃隊国家の現在』(1998年)をとってみれば、私がラングーン事件を北朝鮮の行為であるとみていること、大韓航空機爆破事件も北朝鮮の工作員がおこなったものとみていることは明らかです。私は北朝鮮が拉致をやるはずがないなどとは一度も考えたことはありません。この記述2は私に関するかぎり、まったくなりたちません。
 雑誌『世界』は、別個に編集長岡本厚氏が質問状を送っていますが、私は雑誌『世界』に北朝鮮の立場を伝えるような記事が載ったことを否定しません。北朝鮮を知るためには、北朝鮮の公式的な立場を伝える指導者のインタヴューや北朝鮮系の書き手の文章を載せるのは意味があったと考えています。中には北朝鮮の観点を自分の観点にしたような論文が載ったこともありました。しかし、「北朝鮮を評価し喧伝する記事や論文を常に掲載しつづけた」というのは、完全な誤りであり、誹謗です。1965年8月号に掲載された信夫清三郎氏の論文「現代史の画期として朝鮮戦争」は「朝鮮戦争は金日成による武力的・革命的統一戦争として開始された」という見解を打ち出したのであり、1993年10月号の特集「北朝鮮の現在」は、雑誌『世界』が北朝鮮を批判的な立場から検討する重要な企画でした。ですから、この記述は、『世界』についても受け入れられません。

記述3(26ページ)
 「和田春樹名誉教授のように、北朝鮮の主張を支持した学者や研究者たちは、『拉致はない』『朝鮮戦争は韓国が始めた』『北朝鮮には自由はないが食べるものは十分にある』などと主張した。しかし、こうした主張はことごとく間違いであった事実が、今では明らかにされている。」
 この点について、私は、「朝鮮戦争は韓国が始めた」ということを一度も主張したことがない、私の著書『朝鮮戦争』(1995年)と『朝鮮戦争全史』(2002年)を一瞥すればわかるはずだと反論しました。また「北朝鮮には自由はないが食べるものは十分ある」というようなことを私は主張したことはないし、寡聞にして誰かがそのようなことを主張しているということを聞いたことがないと反論しました。
 これに対して、講談社回答は以下のようにまことに驚くべきものでした。
 「『拉致はない』『朝鮮戦争は韓国が始めた』『北朝鮮には自由はないが食べるものは十分にある』と主張したのは、北朝鮮の主張を支持した学者や研究者です。『和田春樹名誉教授のように』という一節は、『北朝鮮の主張を支持した学者や研究者たち』を修飾するものです。ただし、この箇所については、刊行後から社内から『文章がわかりにくい』との指摘があったため、2003年1月20日に刊行する第3刷より『和田春樹名誉教授のように』という一節を削除しております。」
 この前段は、「和田春樹名誉教授のように」というのは、「北朝鮮を支持した学者や研究者たち」を修飾する飾りであって、和田がこの三つの主張を展開しているとは言っていないというかのようです。こんな逃げ口上はなりたちません。日本語のノーマルな理解では、「和田春樹名誉教授のように、北朝鮮の主張を支持した学者や研究者たち」がこれこれのことを主張したと書けば、和田春樹らが、これこれのことを主張したという意味です。まして別の箇所で、和田が「拉致はない」という論文を書いたと力説しているのですから、和田は「拉致はない」ということ以外に、こんな馬鹿げた議論もしているのだなと読者は思うのは自然です。
 しかも後段で、私の批判をうけたあと、社内で「文章がわかりにくい」という指摘があったので、第3刷から「和田春樹名誉教授のように」という語句を削除することにしたというのは、完全に人を愚弄するものです。問題は「文章がわかりにくい」ところにあるのではありません。書いてあることが事実無根の不当な誹謗なのです。それを指摘されたら、「和田春樹名誉教授のように」という語句だけを削除して、私の批判を回避しようというのです。この言葉だけを削除したら、書かれていることは和田とは関係なくなったとはなりません。誤りがあったので、訂正すると明言して、削除するなら、一つの行き方です。「文章がわかりにくい」という理由で削除するのなら、元来の文意は生きているのです。私が「朝鮮戦争は韓国が始めた」と主張しているというのは明らかな嘘ですが、北朝鮮を支持した学者がそのように主張したのは事実です。しかし、「北朝鮮には自由はないが食べるものは十分にある」という主張をした人が、「北朝鮮の主張を支持した学者や研究者」の中に一人でもいるのでしょうか。いずれにしても、「和田春樹名誉教授のように」という言葉を削った第三刷の表現でも、和田が途方もない主張を展開していると受け取られるので、名誉毀損にかわりはありません。
まして、初刷と第二刷においては、和田がそのように主張していると強調して、虚偽の誹謗をまきちらした責任は重大です。
 以上申し上げたとおり、1月15日付けの回答はまったく受け入れられないものであります。記述1,2,3はすべて事実無根であり、虚偽であり、結果として私の名誉を著しく毀損しています。雑誌『世界』の名誉も毀損しています。重ねて申し上げますが、このようなことは社会通念からして許されることではありません。
 あらためて、念のため、問題の重村本の記述1,2,3を列記します。

 記述1 「日本では、北朝鮮を擁護する論者やメディアが『拉致はない』との論陣を張っていた。その代表的な論者は和田春樹東京大学名誉教授であり、岩波書店の雑誌『世界』がこうした主張を後押しした。『世界』は平成13年2月号で、和田名誉教授の『拉致はない』とする論文を掲載した。」
 記述2 「「雑誌『世界』と和田名誉教授は、北朝鮮が膨大な工作機関を有する『工作国家』であった真実と拉致の事実に、目をつぶってきたのである。その一方で、北朝鮮を評価し喧伝する記事や論文を常に掲載しつづけた。」
 記述3 「和田春樹名誉教授のように、北朝鮮の主張を支持した学者や研究者たちは、『拉致はない』『朝鮮戦争は韓国が始めた』『北朝鮮には自由はないが食べるものは十分にある』などと主張した。しかし、こうした主張はことごとく間違いであった事実が、今では明らかにされている。」(第一刷、第二刷)
  「北朝鮮の主張を支持した学者や研究者たちは、『拉致はない』『朝鮮戦争は韓国が始めた』『北朝鮮には自由はないが食べるものは十分にある』などと主張した。しかし、こうした主張はことごとく間違いであった事実が、今では明らかにされている。」(第三刷)

 これらの記述1,2,3を含む重村智計著『最新北朝鮮データブック』(講談社現代新書)が刊行され、刊行され続けていることは許されないということを申し上げます。  なお記述2の前に直接つづいている以下の記述4も、このたびその虚偽性が明白となりました。

 記述4(19−20ページ)
 「雑誌『世界』は、一九七〇年代から八〇年代にかけ『韓国からの通信』という記事を掲載した。あたかも韓国から書簡が送られてきたかのような体裁を取った論文は、多くの関心を集めた。・・・著者は『TK生』と記された。・・・北朝鮮の立場に立っていると思われてもしかたのない論文や記事を掲載しつづけた。韓国の独裁を批判し、民主化支援を叫びながらも、北朝鮮の独裁や民主化、人権問題についての批判は行わなかった。『TK生』論文については、故安江良介編集長(後に社長)が執筆していた、というのが朝鮮問題の専門家たちの判断である。ジャーナリストの基準からすれば明らかに『捏造』である。『拉致否定』掲載は、日本を代表する出版社である岩波書店にとっては『TK生』に次ぐ歴史的な『汚点』である。」

 韓国における7月29日の記者会見、雑誌『世界』9月号に掲載された池明観氏のインタヴューによって、TK生の「韓国からの通信」は、韓国キリスト者の地下グループが集めた情報、資料をひそかに日本に運び、亡命韓国キリスト者知識人池明観氏が執筆したものであったことが明らかにされました。安江氏は著者を守るために、原稿を書き写していたのです。重村氏の記述は、これを安江氏が執筆したとした上で、「捏造」と誹謗し、原著者の名誉、安江氏の名誉、雑誌『世界』の名誉を毀損しました。
 さらにTK生の通信について書くパラグラフの中に北朝鮮の独裁、人権問題への批判をおこなわなかったと書いたのは、重村氏が「TK生の背後には北朝鮮の関与があるのではないか、との疑惑」をもち、公然と表明しているという事実があります。このことは同じ講談社新書『北朝鮮の外交戦略』(2000年11月)の中で重村氏が書いたことです。重村氏は、そこで疑惑なるものを在韓キリスト教牧師澤正彦氏の著書『ソウルからの手紙』(草風館、1984年)の引用によって裏付けようとしています。重村氏は次のように書いています。「沢牧師の指摘をまとめると、@TK生は韓国に住んでいる韓国人ではなく・・B日本人か北朝鮮の関係者が書いているのではないかーーということである。」(78頁)しかし、澤氏は「T・K生は感覚的に韓国から離れているばかりか、距離的にも韓国から離れている(すなわち彼は韓国にいない)と思うのである。」と書き、「彼の描写は、ちょうど、南の人間が北朝鮮や日本を描写する感覚と手法に似ている」とは書いてはいますが、重村氏が言うように、「北朝鮮の関係者が書いているのではないか」などとは書いていないのです。これは重村氏の歪曲のもう一つの例です。この点は、いまは亡き澤氏の名誉を傷つけるとともに、TK生と雑誌『世界』を誹謗することでもあります。  したがって、記述4も全文削除されるべきものです。『北朝鮮の外交戦略』の該当部分の記述もそのまま放置されることは許されないのは当然です。

 結論的に述べます。記述1,2,3,4を含む重村智計著『最新北朝鮮データブック』講談社現代新書のすべての版は回収し、処分すべきであり、以後の版にはこれらの記述をふくんではなりません。
 そして、これまでの版において、これらの誤った、名誉毀損の記述を掲載したことを著者と出版社が公式に謝罪することを求めます。
 本書面到達後、すみやかに回答するように求めます。

    2003年8月18日


                          (和田春樹本人自署)



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