2021年1月15日

 日朝国交促進国民協会は2000年7月3日に創立されました。村山富市会長、明石康、隅谷三喜男、三木睦子副会長、和田春樹事務局長、小此木政夫、片岡和夫、木宮正史、小牧輝夫、小中陽太郎、鈴木伶子、高崎宗司、田中宏、長瀬价美、細谷千博、本間徹治、水野直樹、緑川亨、宮崎勇、宮田節子、村岡久平、山室英男、吉田進、渡辺昭夫、自治労日教組海員組合各委員長ら20数名の理事、諮問委員を擁した協会はまさに国民的な願いを表す団体として出発したと申せます。設立宣言には次のような決意が述べられました。

 「朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)は今日、日本が国交を持っていない世界で唯一の国です。日本はかつて朝鮮を植民地として支配しましたが、その支配が終わった1945年8月15日から55年がすぎても、 朝鮮半島38度線の北側に生まれたこの国との過去の清算、 国交の樹立がなされていません。これは、 あまりに不正常なことです。植民地支配は南側の韓国の人々に対してと同様に、北朝鮮の人々にも多大の損害と苦痛をもたらしました。そのことに対する反省とお詫びに基づいて、過去を整理し、国交を結ぶことは、日本として20世紀の問題を解決し、21世紀に近隣諸国と新しい協力関係を築くために、重要です。」
 「あらためて私たちは、日朝国交交渉を、2001年のうちに、おそくとも2002年のワールドカップ開催までに妥結して、国交を樹立することが必要であり、かつ可能でもあると考えています。」

 日朝国交交渉は1991年に開始されましたが、8回の会談をおこなったあと、1992年に決裂してしまいました。村山富市首相の三党連立政権のもとで交渉再開のための努力がなされましたが、実現しませんでした。1999年にいたり、村山元首相と野中広務議員らを中心とする超党派議員団が訪朝し、交渉再開に道がひらかれ、日朝交渉が2000年4月に再開されました。すると6月には金大中大統領が平壌を訪問し、金正日委員長との首脳会談がおこなわれたのです。その希望の中で私たちの協会はスタートしたのです。

 だが、再開された日朝交渉は、3回会談がおこなわれただけで、拉致問題解決の要求に回答がでず、2001年ふたたび休会に入ってしまいました。2000年末の米大統領選挙で民主党ゴア候補が敗れ、共和党ブッシュ大統領が出現するに及んで、米国の対北朝鮮姿勢がかわり、暗雲がひろがりはじめました。私たちは全く知らなかったことですが、この間、北朝鮮の指導者金正日委員長は日朝国交樹立を強くのぞみ、2001年より密使をおくり、日本側のドアをたたき、秘密交渉を提案していたのです。小泉純一郎首相、福田康夫官房長官が決断し、田中均外務省アジア大洋州局長が秘密交渉を開始しました。

 田中局長は一年半秘密交渉をおこない、交渉をまとめました。2002年8月30日、政府は小泉首相の訪朝、日朝首脳会談の開催を発表し、私たちを驚かせ、かつ喜ばせました。2002年9月17日、小泉首相、田中局長、安倍晋三官房副長官は平壌を訪問し、金正日委員長との首脳会談を行い、日朝平壌宣言を発して、国交正常化の早期実現のために努力することを表明しました。金委員長は日本人13人を拉致したとみとめ、謝罪しました。うち8人は死亡したが、5人が生存していることが明らかにされました。金委員長は工作船の派遣もみとめ、これを二度と行わないと約束しました。

 国民は首脳会談の成果を支持しました。文藝春秋新聞広告だが、逆風が首脳会談の直後から吹き始め、北朝鮮の拉致に対する反感と怒りが高められ、日朝国交促進勢力に対する攻撃がはじまりました。田中均氏に対する攻撃は不当極まりない域に高められました。小泉首相は国交樹立の決意を説明し、国民を説得することができません。

 このとき、私たちの協会も小泉朝鮮外交支持を表明し、すみやかに国交樹立を実現せよという国民的なデモンストレーションを組織することができませんでした。協会の平壌宣言支持の声明が出たのは、実に10月15日、拉致被害者5氏の帰国の当日でした。すでに『文藝春秋』誌上で、協会の関係者は「親朝派知識人」として名指しされ、批判されるに至っていました。結局、私たちは小泉首相、田中局長の国交交渉方針を支えることができなかったのです。国交交渉は10月27日に一回おこなわれただけで、決裂してしまうのです。これはあまりに大きな敗北でした。

 2004年、小泉首相はふたたび挑戦します。羽田空港で「非正常」を「正常」に、「敵対」を「友好」に、「対立」を「協力」に変えるとの決意を表明して訪朝し、拉致被害者の子供たちを連れ帰りました。ついで藪中三十次局長が訪朝して、実務者協議を再開しました。しかし、藪中局長が持って帰っためぐみさんの「遺骨」がDNA鑑定の結果当人の遺骨ではないと判断されたとされ、あらためて対立が高まることに終わってしまいました。

 2006年には安倍晋三氏がついに首相になり、拉致問題が「我が国の最重要課題」だとする三原則をかかげて、拉致問題対策本部を設置し、内閣挙げて拉致問題に取り組む態勢に入りました。もはや交渉することは必要ない、拉致被害者全員の即時帰国を最後通牒的に要求し、圧力一辺倒で押していくことになりました。北の核実験のあとでは、制裁を加え、まず貿易の完全遮断に進みました。

 だが、安倍氏は健康上の理由で、一年ほどで政権を投げ出したため、福田康夫氏が首相となり、朝鮮政策の修正をはかり、対話をめざしました。北朝鮮政府との交渉がなされ、合意も生まれましたが、この政権も短命におわったため、成果は何もえられませんでした。2009年政権交代で生まれた民主党政権に期待がかかりましたが、中井洽拉致大臣のもとで、拉致三原則はかえって国論化されるにいたりました。田原総一郎氏がテレビ番組の中で「横田めぐみさんは生きていない」と発言したことに対して、救う会家族会から非難がなされ、マスコミ界の放送倫理番組向上機構と裁判所が田原発言を問題だとする判定をだし、田原氏は100万円の慰謝料の支払いを命じられました。もはや横田めぐみさんの生死について議論することが許されません。2012年政権に復帰した安倍氏はストックホルム合意を承認し、交渉の道を歩むかと見えましたが、結局のところ、北朝鮮側の調査報告のうけとりを拒否し、交渉を途絶させてしまいます。

 2018年米朝首脳会談のあと、安倍首相はこんどは無条件で北朝鮮金正恩委員長に会い、拉致核ミサイルの懸案を解決して、国交正常化へ進むという方針を表明しましたが、北当局からは一切反応がなく、日朝関係断絶がつづいています。

 結局のところ、私たちは拉致問題ファーストの国論から脱することができず、日朝国交交渉封鎖の状態をやぶることができないままです。国交樹立の目標は達成されず、20年の歳月を無為にすごしてしまいました。私たちはつくづくと自分たちの無力さをかみしめております。

 だが、敗北したのは私たちだけではありません。2002年に日朝平壌宣言に調印し、「国交正常化を早期に実現させる」ことを約束した小泉内閣の方針は完全に阻止されたまま、18年が経過しています。このまま行けば、2022年には、平壌宣言は20年間棚上げ、棚ざらしの状態に終わるのです。そうなれば、1991年にはじまった日朝国交交渉は30年間の失敗に終わったことになるのです。これは日本国家の敗北です。

 30年前、朝鮮民主主義人民共和国は核武装していませんでした。いま2021年、北朝鮮は核武装するにいたっており、米朝戦争になれば、在日米軍基地をミサイル攻撃すると明言した2017年の立場は変わっていません。この国の国民との関係を正常化し、緊張を緩和し、平和的なものにし、和解と協力の精神をもって共生、共存できるようにすることがいまこそ必要です。1993年河野談話ではじまった慰安婦被害者に対する謝罪を通じて、朝鮮植民地支配に対する反省謝罪を成し遂げ、日朝国交樹立を実行し、懸案解決のために交渉をはじめる体制にはいることが重要です。だから、わたしたちは、「非正常」を「正常」に、「敵対」を「友好」に、「対立」を「協力」に変えると言った小泉首相の政策にもどり、まず日朝国交実現をなしとげなければならないのです。

 そのために、日本に住むわたしたちは、まず過去20年間を振り返り、2002年の小泉首相の日朝国交早期実現の企てが今日まで、どうして、何によって阻まれたのか、を検証し、いまどうすることが必要であり、可能でもあるかを考え抜くことが必要です。

 検証すべき第一の課題は、2002年の小泉首相は、金正日委員長と合意した日朝平壌宣言を生かして国交樹立に進むことがなぜできなかったのか、です。救う会全国協議会と米国政府の役割をも解明することが必要です。
 第二の課題は、2004年の小泉首相再訪朝が国交交渉の新局面をひらくことができずに終わったのはなぜか、です。
 第三の課題は、2006年安倍晋三氏が総理大臣になって、打ち出した安倍三原則は何であったのか、その原則に立った拉致問題解決方針はいかなるものであったか、内閣あげて設置した拉致問題対策本部はいかなる事業を、どれほどの予算により実施し、どのような成果をあげたか、です。
 第四の課題は、安倍首相の政策を継承しなかった福田首相が日朝交渉再開を決断し、斉木局長をして北朝鮮側と拉致被害者再調査の合意を結ばせながら、成果をあげるまでにいたらなかったのはなぜか、を考えることです。
 第五の課題は、政権交代の結果うまれた民主党政権の中井拉致大臣が安倍三原則を国論化したのはどうしてか、です。
 第六の課題は、2009年の田原総一朗発言が拉致被害者家族、裁判所とテレビ業界で断罪され、撤回を求められたのは、どうしてか、です。
 第七の課題は、2012年末再び首相となった安倍氏が2014年伊原局長にストックホルム合意を結ばせ、在朝日本人の悉皆調査をはじめさせながら、何も成果なしとして合意を流してしまったのはなぜか、です。
 第八の課題は、安倍首相が2019年5月の米朝首脳会談決裂のあと、「条件をつけずに金委員長と会い、虚心坦懐に話し合ってみたい」と言い出した真意は何か、どうして無視されたのか、です。

 これらはすべての国民、市民が考えて、答えを見つけなければならない課題です。それにはこれまでに存在する政治家の公式的な説明、学者やジャーナリストの研究を読まなければなりません。検討すべき本や研究は次の通りです。
・荒木和博編『拉致救出運動の2000日』草思社、2002年
・高崎宗司『検証日朝交渉』平凡社新書、2004年
・読売新聞政治部『外交を喧嘩にした男――小泉外交2000日の真実』新潮社、2006年
・船橋洋一『ザ・ペニンシュラ・クエスチョン――朝鮮半島第二次核危機』朝日新聞社、2006年
・青木理『ルポ拉致と人々――救う会・公安警察・朝鮮総聯』岩波書店、2011年
・小此木政夫「分断国家との脱冷戦外交――対朝鮮半島外交」、『日本の外交』岩波書店、2013年
・和田春樹『安倍首相は拉致問題を解決できない』青灯社、2018年

 これらの課題を検証し、答えをうるためには、国民、市民は次のことをおこなわなければなりません。
1.すべての関係者にお話をうかがうこと
 小泉純一郎、福田康夫、田中均、薮中三十次、細田博之、吉井富夫(帝京大学講師、警視庁職員)ら、政治家、官僚。
 蓮池薫、地村保志、曽我ひとみ、横田早紀江、蓮池透ら拉致被害者と家族たち。
 西岡力、荒木和博、小島晴則、安明進ら拉致問題運動家、証言者。
2.情報公開法に基づき政府外務省に基本資料の公開開示をもとめること
 2002年9月17日の小泉・金正日首脳会談の議事録。
 2004年5月22日の小泉・金正日首脳会談の議事録(NHKがリークをうけ、2009年11月8日の番組で放映)。
 2004年帝京大学吉井富夫講師の北朝鮮提供遺骨鑑定書。
 2015年在朝日本人にかんする朝鮮調査委員会報告書中間案。

 私たちは、その上で、日朝国交樹立の可能性、現実性を検証し、判断しなければなりません。国交樹立を実現する現実的な方式があるのか、国交樹立ということの内容はどういうものか、国交樹立後にはどのような展望がもてるのかを考察することが必要です。

 まず、いま日朝交渉を再開する方法として、提案されているいくつかの方式について検討することが求められます。安倍首相は2019年5月に「条件をつけずに」金正恩委員長と会談し、懸案問題を「虚心坦懐に話し合ってみたい」と表明しました。田中均氏は2018年7月3日日本記者クラブで講演した中で、平壌に日本政府の連絡事務所を設置し、交渉を全面的に行うことを提案しました。同じ方向ですが、石破茂議員が自民党の総裁選挙の公約として、平壌と東京に双方の連絡事務所をつくり、拉致問題の交渉をはじめると2018年と2020年の2回にわたり提案したこともよく知られています。
 他方で、和田春樹は、オバマ大統領のキューバ国交方式にならって、無条件で、制裁を維持したまま、平壌宣言に基づき国交を樹立し、大使館を開設して、核ミサイル問題、拉致問題、経済協力問題などの交渉を開始するという提案を出しています。これらの方策の可能性、現実性、有効性が広い角度から検証されなければなりません。これらの方策が現実性がなければ、他にどのような方策があるかどうか、考えることが求められます。

 さらに、国交を樹立するとしたら、研究を要する問題が少なくありません。まず大使館を平壌と東京に開設することが最初の問題です。交渉を開始すべき懸案としては、核ミサイル問題、拉致問題、経済協力問題のほかに、制裁解除問題(独自制裁と国連制裁)もあります。それぞれの問題をどのように交渉するかも、慎重な検討が必要です。

 ついで、国交を正常化すれば直ちに実施できる措置としては、文化交流と人道支援があります。どのような内容が考えられるか、実施するさいに問題はないか、検討が必要です。

 最後に国交正常化にともなって解決すべき一連の実務問題があります。
 第一は在日朝鮮人の待遇と問題解決です。これは慎重に検討すべき問題で、総連関係者をふくめ、ひろく在日朝鮮人の考えを聞くことが不可欠です。
 第二は、朝鮮民主主義人民共和国内にある日本人墓地・日本人の遺骨の埋葬地への墓参や遺骨の帰還の問題です。
 第三は、1950年代以降の帰国朝鮮人の日本人配偶者の往来の問題です。

 日朝国交樹立を妨げてきた障害が明かになれば、それを打破して、2002年の小泉首相の政策に立ち返り、日朝国交樹立に向かって、ふたたび前進すべきでしょう。それが日本に生きていて平和を願うすべての人の課題です。

 日朝国交促進国民協会は失敗に終わった20年間の自らの活動の反省に立って、小泉首相の日朝平壌宣言の実現を阻んできた、この間の事情を検証し、日朝国交樹立の方法と内実を解明する研究活動を2年間おこないます。歴史の検証委員会は2021年春から毎月例会をひらき、年1回の研究会議を開催したいと思います。市民の皆さん、ジャーナリストの皆さん、研究者の皆さんのご参加、ご協力をお願いいたします。

 協会では創立当時の役員の多くが鬼籍に入っていますが、村山富市会長のもと、残った役員はあらたな気持ちをもって、あと2年間活動をつづけます。みなさまの御支持、御協力、御参加をお願いいたします。

 つきましては、これからの2年間の協会の検証研究活動を支持し、支援して下さる方々に協力会員になってくださるように登録をお願いいたします。
 年会費は1万円です。
 登録された方は、協会の月例研究会と研究会議をご案内します。自由なかたちでご参加ください。
 毎月1回のメールマガジンをお送りいたします。

   

日朝国交促進国民協会
 会  長 村山富市
 事務局長 和田春樹
     連絡先 178-0061 東京都練馬区大泉学園町7-6-5和田方
     電話ファクス 03(3922)1219

協力会員の年会費1万円については、「郵便振替」でお願いします。
 郵便局備え付けの「払込取扱票」(青色)を使用します。
 加入者名:日朝国交促進国民協会
 口座記号・番号:00180-0-548591

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